| 東赤石山 | ひがしあかいしやま | 1707b | 2011.6.3 |
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瀬場谷登山口から8:51分出発する。花の百名山と書かれたトイレもあり車3〜4台駐車出来そうだが他に登山者はいない。ヒノ木林から竹藪になり古い屋敷跡を通過する。ここが豊後と呼ばれる所のようだ。屋島や壇ノ浦で破れた平家落人の集落跡で、苔むした石垣のそばにはツバキの木もあり、こんな山奥に住まなければならなくなった平家の一族のことを思ったりした。新緑の美しい林に入る。薄暗い瀬場谷に沿った道は樹間越しに見え隠れするいくつもの滝を見、轟音の八間滝を過ぎると、沢を左岸に渡って、瀬場谷分岐点に着いた。ここから左に赤石山荘方面に登り、山頂を回遊することにした。
瀬場谷沿いの道をどんどん登り、瀬場谷を何回も縫いながら、沢を渡る。瀬場谷の清流は勢いよく、吹く風も気持ち良い。植林地に入ったり、鮮やかな緑が浮きあがる林になったりする道は、たくさんの滝を見ながらの急登で、退屈しない。水量の多い谷を渡り、ツガ林を登って、展望が開けて目の前に岩山が拡がった。薄暗い林からロックガーデン調になり、急に明るくなって目が眩しい。ここは高山植物が咲き乱れる所というがこざくらを一株見つけただけだった。岩礫地はトラバース道になって赤石山荘が左と書いてあるが、東赤石山頂方面への右へ進む。私達とは逆コースで登ってきたという一人の登山者に会った。やっと人に出会いましたと云っていたが、本当に静かな山だ。 |
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| 瀬場谷登山口 | 豊後の集落跡 | 新緑の美しい林 |
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| 橋を渡り | 瀬場谷分岐点 | 瀬場谷の清流を渡る |
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| 突然展望が開けて | トラバース道 | 山頂への分岐点 |
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| 山頂への道からの展望 | 東赤石山山頂 | 山頂から |
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トラバース道は分岐点に合流。そこから岩がごろごろしている急登で東赤石山山頂に着いた。大岩の重なり合った山頂に12:24分到着。鉄分が酸化され赤茶けた岩の荒々しい岩峰で、その赤茶けた岩石が山名の由来という。狭い山頂は登山者もなく、天気は良いのだが高曇りで展望もいまいち。30分程休んで12:55分下山。すぐ下の岩の脇にはピンクのシャクナゲが咲いていた。分岐点で左折して林の中をひたすら下る。岩だらけで歩きずらく瀬場谷分岐点に着いてホッとした。ここからは往路を50分下って瀬場谷登山口15:07分着いた。往復5:50分と意外と時間がかかったが、今日の登山者は途中出会った一人の登山者と夫と私の3人だけだった。
帰路、別子銅山、日浦登山口の前を通ったので寄ってみた。広い駐車場には案内板が建っている。ここは1691年から1973年(昭和48年)の283年にわたって採鉱されていたという。最盛期には別子銅山に12000人が居住、集落だけでなく、劇場や百貨店、酒、味噌の醸造所から小学校まであり、生徒数は298名、教師7名が在籍、町になっていた。この山奥にと興味がわいて登り始めた。15分位登ると下山してきた人に出合う。施設跡までどれ位かかるかと聞くと、2時間位登らないと駄目だといわれる。時間も遅いので諦めて戻るが、標高800bの山奥に町があったとは驚きだ。住友グループの主要産業地だったというが、閉山後植林されたせいか自然そのものの普通の山になっていた。駐車場に戻ると、明日ここから登って東赤石山経由で瀬場登山口に下山するという男性が下見に来ていた。 |
| 瀬場谷登山口 | 8:51 | → | 東赤石山山頂 | 12:24〜12:55 | → | 瀬場谷登山口 | 15:07 |