江良岳・清部岳・寛保岳 えらだけ・きよべだけ・かんぽだけ 732m・722m・648m 2010/9/5


松前町江良港から西に50km、漁船航行時間約2時間30分の日本海にある国内最大の無人島である渡島大島にある山。 最高峰が一等三角点の江良岳のほか寛保岳・清部岳がある。

江良岳の山名は道南の松前町江良町に依る。アイヌ語の@エラマンテ・ウシ=漁師小屋が・あるところ Aエラマチ=鎮鬼Bエラマンシュ=美しい等の解がある。元禄郷帳に「ゑら町村」とあり江良町までが アイヌ語と考えられる。また、清部岳の山名は道南の松前町清部町に依り、 清部はアイヌ語でキ・ウン・ベ=茅、ヨシ・ある・川を意味するという。 寛保岳の山名は,この山が寛保年代の噴火によりできたことによる山名。

寛保岳の火口から今もなお薄い煙を上げているという。渡島大島には漁船の緊急避難用の漁港が建設されているが、 オオミズナギドリ(大水薙鳥)の繁殖地として 天然記念物に指定されているため、入島には文化庁・環境庁の許可が必要である。
大島が近づく

オオミズナギドリは、日本では舞鶴市冠島や、東京都御蔵島で多くが繁殖していて、 冠島では年間数万羽がオーストラリア方面から春になると渡って来ると言う。  大島では過去には空が暗くなるほどの群来があったが、現在では年間百数十羽が渡ってくるに過ぎない。
御蔵島の個体の追跡調査で、調査対象の個体は周辺の近距離採餌海域に加え、 道南沿岸域を遠距離採餌海域としていることがわかった。 道南沿岸まで御蔵島からノンストップで飛んでくるそうだ。 子育て中の雄親の動きを見ると、 近海採餌5日間に続き、道南での8日間の遠海採餌をすると言う、雌はこの間近海で採餌して、給餌している。 オオミズナギドリは日中、海上にいるため巣穴への飛来は夕方から夜間にかけてであり、 今回の訪島では一羽も確認できなかった。
渡島大島でのオオミズナギドリ受難の歴史は江戸時代まで遡り、松前城下で卵が売買されていた記録が残る。 また明治38年より42年頃にかけて函館の毛皮商人小川長之助(俗に川長と呼ばれていた)が 犬を使い一人で一夜に300〜400羽を捕獲し、その羽毛を米国に輸出していた。 この仕事には、多い時には300人ほどの江良の住民が従事したようである。

島の周囲は16km、三重式の複雑な火山で、1938年に毛皮採取などを目的として放した13羽のアナウサギ が爆発的に増えているほか、 難破船などから逃げたものだという子猫ほどの大きなドブネズミが生息している。

今から約1万年前には清部岳(別名:西山)が噴火し,火山が形成され, その後1741年(寛保元年)から1742年にかけて清部岳の火口原で火山活動が始まり、 当時の記録によると,江差地方には火山灰が降り注ぎ昼間でも灯りが必要なほどだったそうです。 山頂部や北側斜面が山体崩壊を起こして大津波を起こし、この大津波では松前藩だけではなく, 津軽半島,新潟県,遠くは朝鮮半島でも犠牲者が発生しており,死者は2000名を越えたと推定される大津波でした。

江良岳の登りから避難港を見る 江良岳の東斜面 江良岳
大文字草の群落 ウサギの巣穴 植物に隠れた江良岳の三角点

この山を初めて見たのは大千軒岳からで、2回目は、それから何年か経って、 新潟から小樽へ向かうフェリー船上から、朝明けの海にポッカリと浮かぶこの山の姿を目にした。
一度は訪れて見たいと思っていたが、 他の目的で入島する機会があり、7名で渡島大島を訪れ、江良岳にも登る機会を持った時の記録です。 心配した雨もなく、海も穏やかなようだ。真っ暗な中、江良港を午前3時に出航。 雨具を着て、ツエルトで体を覆って波しぶきを避ける体勢で船尾に陣取る。 うねりを越える時は多少のピッチングはあるものの、ローリングはなく心配した船酔いもない。 島に近づく頃には明るくなり前方にクッキリと大島が見えてくる。 島というより山が海の中にそそり立つという感じだ。トリカラスノ浜に建設された大島の避難港に到着する。 浜辺には避難港の建設・補修工事関係者が利用する立派な飯場が建っている。 シャッターが下ろされ立ち入ることはできない。調査班と別行動で江良岳の山頂を目指す。 飯場の階段を上り、その右後ろの茅がびっしり生えた急斜面を100mほど登ると植生は変わり、 花の終わったマイズルソウ、ベンケイ草、モイワシャジン等が一面に拡がっている。 植物をなるべく踏まないよう気を遣いながら、至る所に散在するアナウサギやドブネズミの巣穴に足をかけたりして登る。

標高300mあたりから火山礫の露出斜面が見られるようになり植生も変わってくる。 標高600mあたりから顕著な尾根筋を辿るようになり、傾斜もゆるんでくる。 頂上が近くなった頃西側からガスが押し寄せ見る見る頂上部を覆ってしまう。 風下となる江良岳東斜面の600mから下の部分は見えているが他はガスの中。 三角点は植物に埋もれていた。一等三角点(点名:大島)からはガスの中でなにも見ない。 北斜面はミヤマオダマキの群落で、花の時期に訪れると見事であろう。この島では全ての植物が群落となっている。

暫く休憩の後、頂上より江良岳の西側の急斜面を下る。火山礫の露出斜面が主体の急斜面で植生は乏しい。 従ってアナウサギ、ドブネズミの巣穴も見受けられない。580m最低コルから真っ直ぐに清部岳を目指す。 清部岳の東斜面も、火山礫の露出斜面が主体の急斜面で植生は乏しい。なにも展望がない中、 小さな岩が数個集まった小高いとところが清部岳頂上であった。

清部岳より寛保岳とのコルを目指して下る。コルから火口の切れ目に着いた頃、一瞬ガスが切れ、 噴火口や寛保岳を見ることができた。はっきりとした噴煙、蒸気、臭い、等は確認できなかったが、 地形図では噴火の印があるので微かな噴煙か蒸気があがっているのだろうか? 左手のピークが一寸高いようであるが、右手の648m標高点を目指す。 帰りは清部岳を巻いて江良岳とのコルに出て江良岳を登り、往路を下る。

今回の行程では、江良岳東斜面は植生が豊富ではあるが、 西面は植生に乏しい火山礫の露出斜面が主体で、他の清部岳東斜面、北斜面、寛保岳南斜面も同様、 火山礫の露出斜面が主体で植生は乏しかった。
江良岳西斜面より清部岳 清部岳東斜面より606mコブ 清部岳頂上

噴火口切れ目より寛保岳648m標高点 寛保岳648m標高点 寛保岳噴火口

大島港出発 6:10→8:50 江良岳 9:30→10:15 清部岳 10:20→ 10:52 寛保岳 10:55→11:40江良岳12:30→13:30 下山