太田山(神社) おおたさん 485m 2012/7/23 登り: 45分 下り: 30分


北海道の最西端に位置する大成町。その最も西にあり、太陽が地平線に沈む最後の輝きを浴びる神の住む山だという。 太田山は相泊山から派生する尾根上のコブで山頂より断崖となって海へ切れ落ちている。 山腹には太田山神社がある。
松前藩の祖の武田信広は亨徳3年(1454年)蝦夷地に渡来したが、嵐に見舞われ奥尻島に漂着。 奥尻からオオタ海岸に上陸すると、そこに住むアイヌの人たちが、山に向かって一心に拝んでいた。 この山にはオオタカモイという神が住み、航海の安全と病災を救ってくれると言う。信広は中腹の岩穴に登り、 神様がすむ岩穴を本殿として鳥居を建立。「太田山権現」の尊号を贈ったと伝えられる。  寛文6年(1668年)に円空・寛政元年(1789年)には菅江真澄が参拝。以来、蝦夷地の一大聖地となり、 女人禁制の霊場となった。安政4年(1857年)海岸の大岩に、安芸の人が鉄製の灯台を造成し、通る船の航海安全を図った。 近年はパワースポットとしても注目を浴びている。
太田はアイヌ語で@ トア・オタ(彼方の・砂)A モ・オタ(小・浜)Bオタ(砂浜)等の解がある。

頂上直下の絶壁下部 の岩穴(標高 330m)にある本殿まで急勾配の参拝道 (総行程約 700m)がつけられている。 本殿から上には道はなくこの場所からは太田山の頂上へは手軽には行けない。 太田神社は道南五大霊場の一つで、北海道最古の山岳霊場だという。

大成区宮野の交差点を道道740号北檜山大成線に入り大成市街地方面へ向かい、帆越山トンネルを抜けると海側に太田神社、 少し先の山側には太田山神社がある。神社の周りには円空・菅江真澄・松浦武四郎などの歌碑が建っている。 山を見上げると急勾配の階段途中に鳥居が見えている。ロープの設置された参拝道が本殿まで続いているが、 階段下にある看板“太田山神社の由来”には日本海を真下に屏風の如く厳然として聳え立つ太田山頂上近くの洞窟が本殿。 松浦武四郎(安政3年に太田神社を参拝)は本殿までの道のりを猿がよじ登り、蟹が歩むが如く…三百余間…とその険しさを描写している。

急勾配の 階段を150段くらい登ると、その先には階段はなく急斜面の登拝道が続く。小沢を渡り右手の尾根を目指す。 しばらく登ると大岩の下に地蔵があり、さらに100m近く登ると女人堂がある。周辺の大木で、日陰ができて直射日光は避けることができるが、 とにかく急登である。最初から最後までロープが張ってあるので登りのキツイところではロープの助けを借りる。 女人堂から300mほど進むと、本殿の鳥居が見えてきて、崖の壁側面に両側にネットの張られた橋(幅1m、長さ15〜16m)が設置されている。橋の先には 鉄の鎖が見えている。 ここから鉄の鎖を伝って本殿に登る。7〜8mの鎖を登りきると本殿到着である。岩穴は想像していたより狭い。 参拝し、見下ろすと青い海が拡がり、眼下には太田神社も見えている。

太田山神社鳥居(登り口) 太田神社(本殿は○印の岩穴)
1857年定灯篭レプリカ 松浦武四郎歌碑 女人堂
橋末端の左壁を登る 鎖が下がった壁 本殿