カムイエクウチカウシ山1,984m


0:00 七の沢出合 13:40
1:40 八の沢出合 12:00
3:10 標高1000m三俣 11:00
6:10 八の沢カール  9:00
6:50 コル  8:30
7:50 カムエク頂上  7:50
ピラミッド(左)とカムエク(右)、八の沢カールと八の沢
北側から望むとピラミダルな山容をもつ、日高山脈の第二の高峰で、その懐に多くのカールを持つ日高山脈の名峰。 「カムエク」の略称で親しまれる、カムイエクウチカウシ山はアイヌ語で(カムイ・エクチカ・ウシ・イ=熊が・ 岩崖を踏み外して下へ落ちる・よくする・所)を意味すると一般的に言われている。

日高にはアイヌ語の山名が多いが、本来のアイヌ名ではなくて、アイヌ語名らしく後で命名されたものが多く、 (アイヌの人々は山奥を近づきがたいものとして畏れていたため、多くの山が無名峰だった。 地図を作る際に無名では都合が悪いので適宜名前を付けていった)

この山もその一つでアイヌの山案内人.芽室村の水本文太郎により命名されれたと伊藤秀五郎氏の「北の山」に記述されて いるが、橋本誠二氏は「北大山岳部部報」で ・・・「陸地測量部圖幅札内川上流を廣げて頂き度い。吾々は古くより札内川上流一九七八米峰を カムイエクウチカウシ山と呼び馴らはして來た。この山名は故水本文太郎 の案内で、 昭和四年一月、日高山脈に入つた須藤先輩等が、水本に尋ね聞き知つて以來の事である。 しかし吾々がこの名を一九七八米峰に與へた以前、柳田氏他 五名の道廳測量隊による 明治廿六年發行二十萬分の一地形圖測量の際は、無名の峰なる爲に札内嶽第二峰なる名を 付けてゐたのであつた。私達が極めて不十分な幾つかの資料より考へて見たことなのであるが、 カウイエクウチカウシ(ママ)と云ふ山は、實はトツタペツ上流一七五六米峰を指すらしいのである。 現に吾々は之を單にカムイ岳と呼んでゐる。

そのカムイ岳の北面に發する一支流はカムイクウチカウと云はれ、『聖なる斷崖のあるところ』 と云ふ意味なのである。そんな素晴らしいバツトレスがあるかどうかは知らないが、 カムイエクウチカウシと云ふのは意味が不明である事やら、水本が初めは知らないと云ひ張つてゐたと云ふ 事やら、後はもうその當時老齡で 忘れつぽかつたとかから、水本はカムイクチカウ山と札内岳第二峰を混同 して了つてゐたに違ひないと思はれる。  私は以上の事から一九七八米峰に、昔に戻つて札内岳第二峰なる名を用ひたほうが良いと考へる。

・・・・・・・ こんな山の名等はどうでも良い、馴れ親んだもので十分であると云へばそれ迄の事であるが。 吾々のずつと前に大古そのまゝの日高の山脈に水脈を追つて入つて 行つたアイヌの感興そのまゝ 與へた美しい名を、吾々が勝手に、別の地に、澤に與へて良いと云ふ理由も又ないであらふ。

確かにカムエクの名には謎が多い。アイヌ語地名などは案外意味不明や謎のものも多いようだ。 時代による変遷もあるだろうし、第一現代ではアイヌ語話者がほとんどいないので俗説がまかり通る こともあるだろう。カムエクの名に関してはほぼ水本氏一人の話だけから定着したようである。」と 述べている。

中札内村より札内川林道に入り(札内ダム迄は立派な舗装道路)、七の沢に至る。林道は七の沢出合まで通じており七の沢出合の 2〜300メートル手前が駐車場です。以前は七の沢出合まで車で入れたが、今は6km手前の中札内ゲートまで

早朝出発の方はコイカクシュサツナイ沢(コイカク沢)手前の札内ヒュッテ(無人)かピョウタンの滝公園内にある 日高山脈山岳センター(連絡先:中札内村観光協会 п@0155−67−2311)がある。 七の沢では林道工事中で、出合の工事事務所前より札内川に入り、八の沢出合迄は適当に徒渉を繰りかえし、 単調な河原歩きが続く。 沢が大きく左へ曲がると八の沢出合である。







七の沢出合〜八の沢出合迄の様子

八の沢出合は快適なキャンプサイトです。八の沢カール迄の途中に何ヶ所かキャンプ可能な場所もあるが増水時には危険。 早い時期(7月中旬頃まで)なら三股の雪渓上もキャンプ可能場所であるが八の沢出合か八の沢カールにテンパルのが一般的。 出合から1000m三股迄も単調な河原が続くが、三股(1000b)で河原歩きも終わり左手からは100m近い落差の滝をみる。 三股付近がこのコースのハイライトで、登路は中央の二段になった滝の沢の右側の巻き路で、 最初の高巻きが終わる付近で右から枝沢が入り、巻き路は左側へ移る、カール迄には滝がいくつかあるが全て巻き路がある。

尚1000m三股から二段の滝の沢左手ブッシュにも巻き路があり滝上部でトラバースして前述の巻き路に合流する。 トラーバス中程で真横のトラーバスからやや斜め上部がルートに思われる地点で一段下方にルートをとる。
八の沢下部


カール手前でカールからの伏流水が顔を出すとすぐ八の沢カールである。カールにはよく熊が出没するので カール手前で声等を出してからカールへ入ろう。カールには熊に襲われ犠牲となった福岡大ワンゲル部員3名の鎮魂のレリーフがある。

カールからはピラミッド(1,840m)とのコルを目ざし急なカールの壁を登る。 コルからは稜線の路をたどって頂上に至る。途中露出した岩の急峻な場所もあるが危険はない。 頂上からは360度日高の山並みを堪能できる。
三股手前の雪渓 三股付近





カール手前 コルからのカムエク


2011/8/13〜15 
駐車スペース 10:00 七の沢出合 12:00 八の沢 13:40
八の沢 5:00 三股 6:40 カール 8:30〜8:45 頂上 10:25〜11:05 テント 15:50
テント 9:00 七の沢出合 12:00 駐車スペース  13:40


今回が3度目のカムエクであった。 1960年、踏み跡も全くなく、人に会うこともなく、札内川を遡って八の沢から登ったのが最初で、 2度目は1998年で七の沢出合から踏み跡と渓流歩きで八の沢から登った最短距離山行。 3度目となる今回は以前と比べると歩行距離が長くなったものの踏み跡を辿り、3回の徒渉だけで 八の沢に着くことができた。

幌尻覆道を抜けるとゲートがあり駐車スペースは満杯で覆道の中にも駐車していた。 立派な林道を6qほど歩いて七の沢出合に至る。このところ重い荷物を担いでいないので 堪える。七の沢に着く頃には漸く重荷にも慣れてくる。 七の沢からは右岸の川筋から離れた踏み跡を辿る。札内川が大きく左に回り込むと八の沢である。 途中、3回の徒渉と少しの河原歩があるものの踏み跡だけで八の沢に着くことができた。

八の沢には10張り以上のテントが張られていた。我々のテントは300名山ツアー7〜8名の大型テントも 隣のテントであった。 明日は15時過には雨の予報で雷も伴うと言う。 今回は軽量化のためシュラフは持たず、インナーとシュラフカバーだけで、夜明けには 一寸寒さを感じた。

八の沢から最初は左岸の踏み跡を辿り、右岸、左岸と徒渉を繰り返し、短い区間の河原歩きだけで 1時間40分ほどで三つの滝が合流する三股(1000m)に着く。この時期,雪渓は残っていなく 正面の滝(中央の滝)の左岸に拡がる広い尾根の左側に踏み跡は続く。 踏み跡歩きだけでは沢歩きの醍醐味に欠けるので時折踏み跡を外し沢の中を歩く。 次々と現れる滝の巻き路は 急登の箇所もあり枝につかまったりしながら登る。 いつしか、水流は消え伏流となり沢形を登るようになる。 モレーン丘が見えてくるとカールもすぐだ。 カールは急峻な角度の壁が空へ向かってカールを巻く稜線を形ずくっている。

カールからは左手のピラミッド方向へ踏み跡は続き、稜線直下でピラミッド方向の路を分け、 右手に進路を取る。途中沢山の真新しい熊の掘り返しがあったが熊の姿は見えない。 稜線に着くと稜線を乗り越えて反対斜面のコイボク側のハイマツの中に 踏み跡は続く。ハイマツが路を覆っているので路が見えず歩き辛い。 頂上は手前のピークに隠れてまだ見えない。手前のピークに乗ると頂上が眼前に拡がる。 まだ30分位はかかりそうだ。頂上からは目の前にピラミッドが、その後ろにコイカクが、その右手 に1839峰が、目を転ずると流れる雲に見え隠れする幌尻岳、トッタベツ、ピパイロ、近くには 札内岳や十勝幌尻岳が見えている。

下山は三股付近から雨で八の沢に着く頃には沢の流れが濁りはじめていた。 明日は午後には雨も上がる予報なので減水を待って下山することにする。 夜中にはバチバチとテントを叩く大粒の雨で、時折雷光がテントを染めていた。 沢音もザアザアからゴウゴウに変わってきた。翌日は意外と早く減水が始まったので 下山開始。途中300名山ツアーのメンバーが急流に流され運よくガイドが側にいて 捕まえて一緒に流されながら救出するスリリングな場面を、 離れた位置にいたので全体の動きが良く見える位置から一部始終を目撃した。 あと一秒遅れていたらどうなったかと思うとゾットする一場面であった。
沢登りというよりは、むしろ沢靴で登山のイメージのカムエクであった。
駐車スペース カール途中滝
カールからピラミッド 頂上からピラミッド・コイカク・1839峰